わたしのこと
一ドアの向こうの暮らし
名古屋
私は平成一桁、名古屋市の郊外に生まれました。 一〇歳まで団地に住んでいました。私の原風景は、豆腐のように白くて四角い建物が等間隔に並んでいる街並みです。豆腐と豆腐の間にある公園や駐車場を行き来することが当時の私のすべてでした。友達も殆どが団地の子で、住んでいる部屋を訪ねるのが好きでした。外から見たら全く同じなのに、ドアの奥にはそれぞれの違った生活が詰まっています。家庭の数だけ生活があり、部屋の様子が違っているという事に私は興味津々でした。
二民俗学との出会い
東京
時は流れて私は大学生になり、上京して建築の勉強を始めました。同時に、大学で出会った民俗学に夢中になりました。一般庶民の日常生活が、気候や信仰・習わしに大きく影響されていることを知り、それぞれが地味ながらも根強く存在することに感動しました。さらに民俗建築の教鞭をとる恩師とも出会い、日本のみならず海外の暮らしや住宅事情を垣間見る機会にも恵まれました。地域の伝統に影響された古民家も、そうではない現代の住宅も、人の暮らしが定着している場所には独特の面白さを感じます。団地のドアの向こうの光景を彷彿とさせているのかもしれません。幼いころから自然と湧き上がってくる興味で、変わらない部分です。
(拡大して見る)三出雲の夏
出雲
大学生のある夏、島根県出雲市のとある建築設計事務所のインターンシップに参加しました。その事務所は古民家を改修したもので、所長曰く当時で築約二〇〇年とのことでした。事務所は離れの蔵に集約されており、母屋はインターン生が寝泊まりできるようになっていました。インターンシップに参加していた学生(記憶では自分を入れて五名程度)で二週間共同生活をしました。そこでの生活で、私は古民家好きを自覚しました。朝、ヒグラシの大合唱で目が覚めます。蚊帳越しに薄明るく見える屋外は、青に金色の光が差し込む世界でした。毎日簡単に掃除をし、仕事を終えた後、夕方は五右衛門風呂を沸かし、竈で炊事をしました。わずか二週間でも季節が進んでいくのははっきり分かりました。虫の声や気温、日の長さの移り変わりを感じることに豊かさを感じました。私はその場所に惚れて、卒業後働かせていただくご縁をもらいました。
(拡大して見る)四三百軒の古民家と「型」
出雲
出雲では、新築半分・古民家改修半分の割合で住宅設計に携わらせてもらいました。設計の合間に調査業務もありました。印象に残っているのは、市内の古民家約三〇〇件の実情調査です。行政職員の方と一軒ずつ訪ねて周るのですが、アポなしで訪問し、建物の変遷や現状困っていることなどのヒアリングを行うものでした。平日の昼間に行くので大体は高齢の方かお嫁さんが対応してくださいます。今思い返すと、ヒアリング内容は調査報告として纏めるには荒い情報だったと思います。ただ、三〇〇件訪問していく中で、古民家の「型」のようなものに気づくようになりました。例えば玄関の使い方や意味。単に家の出入り口ではありません。玄関は訪問者のための空間で、客間と似た風情があります。改修された経緯があればその原因と方法はどの家も同じでした。団地のドアの向こうは家庭によって異なっていたのに、古民家の「型」はとても良く似ています。そのことが私の興味にまた違う風を吹き込みました。住居が象徴するものが血筋や格式・ゲン担ぎだった時代、物流が今とは全く異なるため身近な山の木や田の土で家を建てていた時代…当時の事情が詰め込まれて、代々継がれる不動産となっていることに妙な説得力を感じました。そういった経験から私は将来自分で古民家を買って、直して、住みたいと思うようになりました。
(拡大して見る)五丹波篠山へ
丹波篠山
転職をして丹波篠山市に移住すると、そこは古民家を利用し、挑戦している町でした。古民家を改修し、住宅だったものをホテルや飲食店にすることでまちづくりを行い、そのために規制の法律をも改正するような取り組みを行っていました。新しい環境では古民家改修の仕事が一〇割になりました。兵庫県内の仕事のみならず遠方の案件も多く、仕事のご縁が無ければ知る由もなかった町をお訪ねする機会を頂きました。日本は狭いようで広いです。
(拡大して見る)六仙人が降りてきそうな場所
丹波
丹波篠山市に移住して三年目、私は住居のための古民家を探し始めました。ここからあまり時間はかからず、一つの古民家に出会いました。お隣の丹波市に位置するこの古民家は借景に岩肌の見える山があり、よく手入れされた集落の真ん中にありました。第一印象は「仙人が降りてきそうな場所だな。」でした。内覧を申し込み初めて足を踏み入れて驚いたのは、内部の空気が全く淀んでいなかったことです。それまで数えきれないほどの古民家に立ち入ってきましたが、空き家の場合は必ずカビっぽい空気が充満しています。それが普通なのですが、この家には全くなかった。聞くと、所有者の方が毎週戸を開けて管理してきたとのこと。そんなことはいくらお金を積んでも買えるものではなく、こんな古民家があると知れただけでも有難いと感じるご縁でした。しばらくして、私はこの古民家を購入することを決めます。
七ふたつの立場で
丹波
申し遅れましたが、住居として古民家を探すきっかけになったのは結婚でした。二人で古民家購入には大賛成で進んできたはずが、お相手はこの古民家の改修完了を見ず離婚してしまいました。当時はたじろぎました。一方で、「このまま突き進んでいけばいいのでは?」と思う自分もあり大混乱していたところ、以前から付き合いのある工務店の社長さんが強く背中を押してくれました。私はやっとスタートラインに立つ腹が決まり、図面を書き直し始めました。書いていると夜中でも眠気が飛び、午前四時まで起きていても平気なほどでした。設計者と施主の立場を両方味わう貴重な経験で、初めて自分で大きな決断をしたといえる出来事だったと思います。工事が完了し、引渡しを受け、やっと引っ越してきたころには物件購入から五年が経っていました。長くかかってしまったようで、必要だったと思う時間です。
(拡大して見る)八仙と住
丹波
引っ越しからあまり時間が経たないうちに私は自分で建築設計事務所を始めようと思い始めました。ここでの暮らしそのものが設計の仕事に活かせると思うからです。事務所の屋号は「仙と住(せんとじゅう)」です。ここに初めて訪れたとき「仙人が降りてきそう」と思ったこと、私はこの場所に住んでいることを表しています。あとは、音が数字の「千と十」とも聞こえて関連があるものを並べている風で、漢字にすると「にんべん」に「山」と「主」という単純なつくりを組み合わせているところが面白いかなと感じています。
この場所から、様々な人の身近な場所を設計していく存在になれたらと思っています。